瀬戸焼の磁祖
加藤 民吉


加藤民吉像(瀬戸市窯神神社)
 
 瀬戸焼の陶業は江戸中期からである。そうした状況を背景に磁器への転換に生き残りをかけて、磁器窯探見修行の旅に出た青年加藤民吉。1804年同郷であった東向寺の天中和尚を頼り天草に来た民吉は、そのまま高浜の上田宜珍の元で製磁技術を習う。しかし色絵の配色法を教授されず、やむなくいったん島を離れて、長崎でこれを会得した。その後、再び来島して宜珍と再会したが、民吉の相変わらずの瀬戸復興へのあつい思いに動かされ、この時初めて、彩料配合の処方を書き物にして、宜珍は民吉に与えたのである。時に1807年。こうして様々な苦難の末、同年6月、民吉は瀬戸に帰り、磁器焼色絵の製法をもとに磁器焼を盛んにした。やがて瀬戸の磁器は飛躍的な発展を遂げ、加藤民吉は瀬戸焼の磁祖と仰がれるようになったのである。